火葬
4月3日
本当の最後に寝てしまった私は
なんてマヌケなんだ。
しんどい日々、誰もいない午前を
今日もまた乗り越えてくれたのに
肝心な瞬間を見てないなんて。
最後に意識はもどっただろうか。
何か伝えたいことがあったんじゃないか。
間際に声をかけてあげたかった。
考えても仕方ないことなのに
後悔と詫びの気持ちが胸につまってしまう。
体をなぜ、手を握り、声をかけ、抱き締めて
またタオルをかける。
何度も繰り返したけど、足りない。
4月4日
起きてもなお後悔がつのる。
鼻先にお菓子入れた袋
牛乳を少し注いだ皿を置いてやり
朝は普通に出勤。
午後は休みをとり、帰宅。
火葬にでむいた。
死んだ体は固いようで柔らかく
布団を移して2階から一階へ下ろす作業が
思いの外難しく、きが滅入った。
途中の大きな公園に立ち寄って駐車し
よくきたよね
山々や木々や池や獣の匂いがするかい
と声をかけた。
サクラ散るサクラ散るお別れのときが来て
ラジオから流れる
尾崎世界観の歌詞がしみる。
雨のひどい日に体調が悪くなったけど
持ち直してくれてよかった。
せめて、こんな天気の良い日に
送ることができて良かった。
そう思いたいけど、悲しみから抜け出せない。
火葬しているあいだ、
テーブルの上の漫画を開いた。
僧侶が主人公でペットの死を描いた漫画。
私には無縁のスピリチュアルな世界。
こんな都合のよいこと……って
半分斜にかまえて読んでた。
なんたって、私は最期を居眠りで見逃した
飼い主だぜ。
でも最後のコラムで
「供養の仕方」。
大事なのは、犬が楽しくしている姿をイメージし
自分も楽しかった気持ちを思い出し
ごめんじゃなく、ありがとうと言う。
供養なんて、別に犬のためにならない。
でも、もしも、少しでも
橋を渡ったあの子に影響があるなら
やってやりたい。
精一杯の供養をしてやりたい、
そう思った。