無宗教ですが。

4月8日

塩田妙玄の本を借りに
兵庫図書館へ。

スピリチュアルには無縁な人生。
愛犬の声も聞こえたことない。
森羅万象に神は宿ると思えど
宗教としての神も仏も、無縁。

しかし、塩田妙玄の本には
納得しきり。

死に行くあの子に○○を有り難うと言えれば
それがまさにうちの子になって教えたかったこと

それから何を有り難うと言えるか
ずっと考えていた。

一番は……

いつも待ってくれて有り難う

です。

仕事中心だったけど、
いつも帰りを待ってくれていた。
ご飯出すのが遅くなっても待ってくれていた。
店先でお留守番させても待ってくれていた。
きつく叱っても許すまで待ってくれていた。
山に上れば、曲がり角では必ず待ってくれていた。
(帰るときはとっとと車まで一人で帰ってしまう薄情者)

待つことを教えてくれたのであれば
わたしは待つことを学んで生かさなければいけない。
忍耐強くやっていくということだろうか。

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まだ発病前。
足が悪いのを指摘されるのか嫌で
人目につかぬよう
夜のお散歩をしていた頃。
反んな小さいこと嫌と思ってごめんな。

動物病院へ報告

4月6日

雨の日。

世話になってた動物病院へ。

診察券を出すといつもの看護婦さんが
カルテを出しながら
「今日は点滴?」
と聞くので
火曜日に亡くなったと言おうとしたけど
言葉が詰まってしまった。
それを見て察してくれて「いつですか?先生呼びますね」
と言ってくれた。

先生には火曜日の朝は目が合ったけど
午後にはぐったりしていたこと。
家には居たが亡くなる瞬間はみてないこと。
を伝えた。

苦しんだだろうか?
安楽死がよかっただろうか?と
悩んでいることを聞いた。

飼い主に見られていると逝けないから
居ないときに逝く話は良く聞くよ。
最後は意識が無かっただろうから
苦しくなかったんじゃないか、
安楽死は必要なかったと思う、
と答えてくれた。
少しほっとした。

先生、子犬の頃から
長い間ありがとうございました。
お礼を言って病院を出た。

少し遠いこの病院には
もう来ることはないだろう。

その足で
友達のAちゃんちへ。

メールで報告しても、
メールのやりとりだけでは悲しすぎて
直接言いたかったから。
愛犬を看取ったことのある彼女は
話しを聞いて
「犬は自分の最期を自分できめる。
だから、あなたが寝ている間に
逝くことにしたんだよ」と言って
一緒に泣いてくれた。

どの犬だって人間だっていつかは死ぬ。
でも、自分の身にふりかかるまでは
その意味が分からないもんだねって
言い合った。

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3月31日の写真。
まだ水も良く飲み、ご飯も食べていた頃。

天に返すということ

火葬場から戻りしな
家を空けれない日々に行きたかった店に
立ち寄った。
大したことないけど
待ってる者が居ないのでできる行為。

早く帰ろうよ
ご飯の時間だよって言う子がいない。

帰宅して、お骨を
いつもご飯を食べていた台に置いた。

しばらくはここに居てもらおうか。

最後に寝てたマットには
スヌーピーセブンイレブンのバーニーズ
を置いた。

寝るまで、あんまり悲しくならなかった。
楽しかったイメージで供養するんだって
教えてもらったから。

4月5日

なのに
目覚めると、悲しいじゃねーか。

供養の説に妙に納得したけど、他の
ことを忘れてた(朝に思い出した)。

「しゃもん」漫画の主人公の犬。
最後は安楽死するのだが
天に返すそのとき
ボスである主人公はしゃもんに
「振り向かずに行きなさい」と
最後の命令をしていた。
私はそれができなかった。
私が帰るまでここに居て、
逝かないでって声をかけた。
あいつのことだから
曲がり道で振り返り待っているかもしれない。

「天に返す」
その言葉を知っていれば安楽死に踏み切れたかな。
意味が分かるのは、今だからだろうか。

明日から天気が崩れるようなので
ウッシーに掛けていたタオルを朝のうちに
洗っておこうと
洗濯機に放り込んだけど、
ふわっと香る洗剤の匂いが
最期の姿と重なって泣けてしまった。
洗わずに少し干してから畳もう。

お水とご飯を供え仕事へ。

お昼に帰ってくる必要もないけど
帰って来て、お水を替えた。

楽しかったイメージで供養したいけど
全然できそうにない。
思い出すのは闘病で苦しかった姿ばかり。

悲しいなあ。

もう居ないなんてさ。

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去年の9月のキャンプ。
振り返り美人のあいつ。

火葬

4月3日

本当の最後に寝てしまった私は
なんてマヌケなんだ。

しんどい日々、誰もいない午前を
今日もまた乗り越えてくれたのに
肝心な瞬間を見てないなんて。

最後に意識はもどっただろうか。
何か伝えたいことがあったんじゃないか。
間際に声をかけてあげたかった。

考えても仕方ないことなのに
後悔と詫びの気持ちが胸につまってしまう。

体をなぜ、手を握り、声をかけ、抱き締めて
またタオルをかける。
何度も繰り返したけど、足りない。

4月4日

起きてもなお後悔がつのる。

鼻先にお菓子入れた袋
牛乳を少し注いだ皿を置いてやり
朝は普通に出勤。
午後は休みをとり、帰宅。

火葬にでむいた。

死んだ体は固いようで柔らかく
布団を移して2階から一階へ下ろす作業が
思いの外難しく、きが滅入った。

途中の大きな公園に立ち寄って駐車し
よくきたよね
山々や木々や池や獣の匂いがするかい
と声をかけた。

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サクラ散るサクラ散るお別れのときが来て

ラジオから流れる
尾崎世界観の歌詞がしみる。

雨のひどい日に体調が悪くなったけど
持ち直してくれてよかった。
せめて、こんな天気の良い日に
送ることができて良かった。
そう思いたいけど、悲しみから抜け出せない。

火葬しているあいだ、
テーブルの上の漫画を開いた。
僧侶が主人公でペットの死を描いた漫画。
私には無縁のスピリチュアルな世界。
こんな都合のよいこと……って
半分斜にかまえて読んでた。

なんたって、私は最期を居眠りで見逃した
飼い主だぜ。

でも最後のコラムで
「供養の仕方」。

大事なのは、犬が楽しくしている姿をイメージし
自分も楽しかった気持ちを思い出し
ごめんじゃなく、ありがとうと言う。

供養なんて、別に犬のためにならない。
でも、もしも、少しでも
橋を渡ったあの子に影響があるなら
やってやりたい。
精一杯の供養をしてやりたい、
そう思った。

犬の最期

4月3日

今日も午前のみ出勤した。

日に日に状態が悪化しているが
朝は音には反応していた。

いってきます!
お昼には帰るから、まだ逝かないでね!

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12時30分頃帰宅。

でも昼からは呼んでも反応なし。
口を開けて荒い息してる。

帰ったとき下痢をしていたのでシーツを替え
体を拭いた。
オシッコもしていた。

5日前から飲まず食わずなのに
いったい何が出るんだろう。

あと、茶色い唾液がでて
シーツを汚す。
癌のせいなのか、最期はこうなのか。

水の入った皿を鼻先に置くと
少し反応して、スンスン匂ったような気がした。

手や足が時々動くけど
これは末期の痙攣なんだろうか?
声をかけながら
手を握ったり、背中をなぜたりした。

また少量の下痢をしたので拭いた。

しっぽ持ち上げて肛門をみると
緩んでないので、
まだ大丈夫なのかなーと思ったのが
間違いだった。

ふと、気付くと
うたた寝をしていた。
横にいる犬の荒い呼吸がない!!
心臓がバクバクした。
目は開いてて、体はいつも通り温かいが
名前を呼んだり、ゆすったりしたが
反応なし。

15時から15時55分の間に
亡くなっていた。

顔が50センチの距離にいたのに
いつ、どんなふうに亡くなったか
正確に分からない。

でも、恐らく、ひどい痙攣も下痢も
唸ったりすることもなく
心臓が止まったんだろう。
ほんのちょっと前に。

あと2ヶ月で12歳になるところだった。

シーツを替えて
体を拭いた。
何度も抱きしめた。

今目の前に寝ているが
本当に死んだなんて思えない。

胸のあたりが今にも呼吸で上下するんじゃないかと
思うのに……

生きているときの最後の写真。
握手。

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亡くなる一時間ほど前の写真。

お花見

4月2日

今日も生きる。

午後休みを取ったが
帰ったら死んでるかもと想像が消えず
泣きながら帰った。

意外と普通に寝ていた。

でも水は飲まない。
飲みたそうに見えるがペロペロしない。
無理やりスプーンで
閉じた口の横からいれてみたりしたが
これが何になるだろう。

嫌がることをしないほうが
いいのかな。。

貧血なのが、歯茎がすごく下がり
唾液の出ないせいか膿がでているのか
口臭がくさい。

公園の蛇口から出る水に反応するのではないかと
思って、近所の公園へ。

でも蛇口を眺めるだけ。。

諦めて広場に行き
ひなたぼっこ。

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危篤の状態でひなたぼっこしていいのかどうか
分からないが、最後の1日にするなら
外の世界をもう一度見せてやりたい。

ひんやりした地面、暖かい日差し、
時おり吹く風にサクラの花びらがぶあーっと散っていた。
行き交う親子連れや散歩の同胞を見ながら
ボールが蹴られる音に反応していた。

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いつまで生きてくれるだろう。
もういいよって思いと
まだ逝かないでって思いが交差します。

エイプリルフール

浅い呼吸と、荒い呼吸を繰り返し
なんとか夜が明けた。
4月になった。
今日1日を生きられるだろうか。

水は飲んでくれた。

今は写真を整理している。
たった1ヶ月前には
発病もせず、毎週末どこの山へ行こうかと
考えていたのに。
当たり前の日々をもっともっと楽しく優しく
感謝して生きられたら……
毎日精一杯やったつもりだけど
足りなかったのではないかと……

悲しさで胸が苦しい。

これは発病前、3月初旬の写真。
前足を組む姿が好きでした。
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